ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

~までという呪いのようなもの

創作文ではないです、思ったことを吐き出し



~まで、っていう呪いのような呪縛のようなものについて


特に30までに、っていうのが結構強い効力があるように思えて。なんでだろうと自分なりに思ったときに旧来から続くスタンダードな人生観(といっていいのかどうか)においての重要なイベント事が二つあると思って一つは就労につくこと、もう一つは結婚、家庭を持つこと的な部分。
結婚に至っては晩婚化などが進み緩くはなってるような気もしますが拙作のおんなでも書いてるように30は未だ壁のようになってる気もあると感じていて。

なんていうか20までにしたいことってそんなに多くないような気がして、というより20までにしたいことってほぼ大半の時間を子どもとして過ごしてきている訳でもしこうしたいというものがあっても、資金も充分にあるわけでもないし出来ることは限られてくる・・・

でも30までにしたいことってなると20までに~のときとは意味が違ってきて、それが一つの人生を分けてしまうような決断にも繋がる。
30までに定職に就かないと、とか30までに結婚相手を見つけないと、とか求めることがシビアになってきて、じゃあ多様化社会とうたわれる昨今
なら30を過ぎてそうしてもいいじゃない、とも思いたいものですがなんだかんだまだ白い目で見られるような状況ではないのかな、と思ったりして。

40までに結婚する家庭を持つも40までに定職に就く、とか芸能人のような特殊な地位にいる人たちはいいのでしょうけど一般人が言うと途端にヤバい人、というか出来損ないのような扱いを受け兼ねなくて。

「40になるまで何してきたの?この人は?」というような見方をされてしまうわけで。(こういうことから再就職はかなり難しいイベントになったり)
「フツーは30までにそうするもんでしょ、」という感覚はまだ根強いように思えて。

じゃあ40までにしたいこと、って何があると自分なりに考えると、家庭(子ども)を持つとか持ち家を買うとか昇進するとか転職するとか30までにしたいこと、の部分が土台になってたりしてそのベースから発生したしたいことにシフトしていく気がして。
さらに50までにしたいこととなると起業とか身体が動くうちに外国に長旅するとかそういう余暇に割り当てられていくような感じがして。

50までに定職に就きたいと思ってもそれで周りの目は結局「この人は50になるまで・・・(以下略)」になる。じゃあ結局30までに人生の方向を決めなくてはいけないのはすごく時間が、激しい。

30を越えたあたりで周りの目も尖鋭化してくるというか、特殊な場所にいる訳でもない場合は「この年になるまで何をしていたの・・・」といったお叱りを受ける。
そういった意味では色々な種を蒔くのは20代の内にしか出来ない、30を越えてから種を蒔くのは遅すぎ判定をくらってしまう。

それはおんなでも書いたけど男性は30までにそういった経験がないと魔法使いになれる、とかいう伝承があるように何か結局色々な物事は30歳未満限定なんじゃないか、と思ってしまったのだ。

でも実際には物事にはそんなに年齢制限もないと思うのだけど、ソーシャルな生き物としてはそこをスルーして生きていけるのはなかなかそれも選ばれた強者しか貫き通せなかったりして。


筋とはあんまり関係ないですが道楽者という言葉はなかなか最近好きな言葉だと思って、そういうフーテンの○さんのようなそういった幾つになっても道化師というか風来者みたいな存在がいてもいいじゃない、というかいまだと配信者がそうなってくるのでしょうか。ユーチュバーと言われる人たちがトラさんのような存在になっていくのかはまだまだその渦中にあってわからないですが・・・。


ただこの~までという呪縛の作用が一番強いのが30という言葉のように感じてしまって。
(もちろん身体的には40、50までという方がシビアな場合がありますが)
ただ重要なイベント事の決定には30という数字が強いんじゃないか、と個人的に思ったのでした。
(やはり30までに職というのがとにかく強い・・・新卒というカードが最大の武器という言葉があるように何の取り柄もなくても20代新卒であれば条件はクリアという道筋はいまだに根強いなあ・・・と)

でも考え方の向きの問題でもあるのか40になったら結婚するとか30になったら旅するぞ、とかそう言えるのはでも蓄えがそれまでにあった人たちでもあるように思えて、その蓄えを備蓄するには結局30までにということになりかねないので・・・うまくはいかないものなのかも。


岐路を過ぎたもののただの戯れ言です。





いつか記事を下げることもあるかもしれないのでその点はご容赦ください。