ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

おんな


「青山さんって、結婚してるんですか?」
と聞れるのは社交辞令だ。いや、お約束というべきか。
最近ではこういうことを聞くのも言うのもセクシャル・ハラスメントにあたるというが、こういう話題はある意味普遍的である故に慣習として残っている。誰でも手っ取り早く会話の糸口を掴むことができるからだ、仕事の話では能力の差や愚痴などを聞かされることもあったり、そもそも仕事への興味がない不貞な輩もいるが、プライベートとりわけ恋人の有無の話は今いる場所でない話題への転嫁ができるのだろう。もちろん下心を持って男女が探りを入れることも可能だろう、お互い好意を持っていればこの上ないラッキーチャンスである。

私に結婚を聞いてきた部署の後輩である高岡は25歳だった。今年の異動で私の部署に来たのだ。
「いやあ、もう仕事仕事でヘトヘト、自分一人食わせるのに精一杯かな」
「え~、そんなことないと思いますよ~青山さんすごくエネルギッシュで」
「いやいや、そんなことないって高岡ちゃんは・・・」
「家は子どもが一人います、2歳なんですけど・・・」
「そっか、今やんちゃ盛りだね、大変な時だね」
「はい、家帰るともう凄いことなってて・・・夫が家で仕事してるんで見てくれてはいるんですけど」と言いながら高岡は苦笑いしたが、随分幸せそうだと思った。

帰りのバスの中、窓の外を眺めながら反省していた。
そういえば30年生きてきて私は処女であった。この年まで彼氏と呼べるものはできたことなかった。だが別にそれは問題ではなかった。男などいてもなくてもいい、面倒くさいだけの関係なんて考えるだけでも気が滅入ってくる。

この年にもなって一度も男性経験がないというのはおかしいのだろうか。
一昔前にあった干物女というやつが私だろうか、いや喪女というやつか。
セックスはもちろんだが手を繋ぐとかキスとかもしたことがないのだ。
やってみたいと思わないこともなかったが、積極的にやりたいと思うこともなかった。
容姿は至って人並みだと思うし、からかわれて嫌な思いをしたとかひどい扱いを受けたとかそういうこともなかった。ただ本当にそういう機会がなかったのだ。

機会がなければないで構わなかった。
恋心、と言うべきか惚れっぽいというべきか微妙な感情は持ったことがあるかもしれない、高校のクラスの人気者の男子、明るくて頭も良くて親切な人、大学生のサークルの博識で面白い人、アイドル、好青年芸能人、舞台俳優・・・でも彼らに対してのそれが恋心というぐらい本格的なものなのかどうかは微妙だった。
ただ単に男友達が欲しいくらいの憧れかもしれなかった。

性欲は抱かなかったのかと言えばそれは興味はあるように思う。男女が一緒に寝るというのはどういうことかつまりセックスというのはどういうことをするのか、その状況になると男と女は、私はどういう風に変わっていってしまうのか・・・同じベッドに入ることで何が変わるのか、そういう興味はないわけではない。

ベッドの中では男は自分に優しく声を掛けてくるのだろうか、映画やドラマの濡れ場の男が甘く囁きだすのを見ながら実際の男もこうなんだろうか、フィクションとしての演出だろうかと考えた。
ときおり寝る前に妄想しては勝手にドキドキして目が冴えるくらいにピュアな好奇心はあった。

リアルで性体験の有無など話すのは下世話だった、私まだしたことがない、と言って気まずくなるのはそうだ。同僚なんてとんでもなければ親兄弟に話すなんてもありえないすぎる、友達にだって若い学生じゃないんだからこの年でそれを話すのは痛すぎる。
もう既に子どもを産み育てている友人がいるのだ。そんな人たちに私のこんな夜の話を聞かせるのは苦痛だった。

夜、寝そべりながらだらーっとして携帯の画面を眺めていた。
たまたま目に入ったのが男のモテ塾と謳った男側に向けた恋愛指南のサイトだった。男は何を思っているのだろう、と興味本位で見てしまった。ブログ形式になっていてその中にこんな女に注意しろ、というトピックがあった。中身を見てみる。

30代で処女の女は少数派、だいたいの女は20を越えると一回くらいはセックスの経験はあるものだ。さらに可愛い女の子なら10代で捨ててることも少なくない、彼氏ができれば必然とそうなるもので(いささか倫理的にどうかとは思うが)顔が可愛いとかでなくともまともな普通のデキる女ならやはり20代で処女を捨てる機会はあるものだ、という。

30を越えてもそういった経験がないなら地雷。
男性経験はもちろん社会経験にも乏しい底辺女だというし、男との交遊がないということで本人の人格に難アリだと言われる始末である。
とことん酷い扱いだった。たかだかセックスの機会も経験もないというだけでこの言われだ。書いてる人はたぶん男だろう、それもモテ塾のようなことをやるのは俗に言うヤリチン男が童貞や非モテを悩む男に対してアドバイスの体を装ったマウンティングだ。「良い女は、こうやって選べ」まるでスーパーの目利きだ。買って後悔しないお買い物をしろ。

男が処女をそういうような目線で見ているのは、手っ取り早くやり捨てられる女が欲しいのに30過ぎて異性体験のないのはやり捨て女の基準に満たないのだ。だが処女は好きだ、20になったばかりの女の子を手中に入れるのは大好きなのだ。なんだかとても面倒くさい世界を見てしまった。

つまり私はこのままセックスをしないで一生を終える、それもそうだと思った。別に、いい。
構わない。
だがいい年をしてセックスをしたことがないというだけで異常者としてのレッテルを貼られるのは嫌だ、それに好奇の目で見られるのも嫌だ。
セックスをする、恋人がいる、子どもがいる、結婚、どれかを手に入れられれば正常なのだろうか。

一体何がおかしいのだろうか。
私が男だったら凶暴な性的衝動がこれらへの羨望を激しくするのだろうか、セックスができないのは相手のせいだと決めつけるようなモテ塾が言う地雷女は正に男の仇だった。

非モテ諸君は踊らされる。自身の衝動にもそうだし女から歩みよってくれていれば俺たちは童貞と処女を捨てられお互いの利益の為になったのだ、と。それも若い内限定に限った話しだろうけど。男も女も30という数の前に皆とても必死だった。男は30を越えても童貞なら魔法使いになれるという、じゃあ女は魔女にでもなるのか。

私は携帯を自分の寝そべる布団の横に放り投げた。画面を見るのは疲れる。前はどうってことのない事だったことも最近は疲れやすくなった。私はもう歳なんだと思うとはぁ、とため息が出た。深いため息だった。腕は無造作に投げ出して楽な体制を取りまぶたを閉じるといつの間にか意識を失ったかのように眠っていた。

夢を見た。私は夢の中で裸だった。いや裸のままベッドに横たわっていた、隣にはもう一人いた。
私は隣の人に話しかけていた、何を話したのだろう「今日の仕事は大変だった」とか「明日はどうする」そんな感じの事を話していたと思う。
隣の人はそうか、と頷くようにして話を聞いてくれていた。
私は不安だと言うような事を言うとその人は私の身体を抱え大丈夫だ自分がついてるというように言った。

私はその言葉を聞くとなんと自分からその人の身体に埋もれていった。そこで初めて目の前の人物は男だと認識した。たぶんまた(二回目という感覚があった)セックスをしたのだと思う。
その時は私の方から積極的に動いていて(という意識があった)その人の何かをを感じたような気がした。

朝、目を覚ました。頭が重たかった。時計の時刻は7時を指していた。朝から頭が重いのは身に応えた。こういう夢は度々見た。相手はその都度違うような気がする。

相手役の顔ははっきりとしたときもあればぼんやりと顔無しのときもあった。
声もその通りで、だいたい芸能人とか昔の学生時代の知り合いとかが好きとか嫌いとか関係なく無造作に選ばれてしまうこともあった(罪悪感でいっぱいになる)。

ああいう夢は幸せでも何でもない。
欲求不満かと言われればそうかもしれない、と答えるだろうけど私が本当に今すぐにでもしたいと思えるくらい不満かと言われればそうではなかった。


中短編
文章表記駄目だったら消します。
選外