ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

鳥は山に眠る

その場所は現在暗く奥深い山の中にポツンとある。
かつてここには古くから樵や炭焼を生業にした細々とした小さな集落があったのだが、ある時山の下の町から来た商人と役人が裏の山で金や銀が採れないかと調査を始めた所この見通しが当たった。裏山から手付かずの銀や銅が大量に採れ始めると町から鉱山に働き口を求める人が大勢やってきた。そのせいで小さな集落は瞬く間に小さな町にまで発展するほど人が押し寄せたのだった。

その中に下の町から鉱山の町に移り住んだ夫婦がいた。夫婦は下の町で古くから仕立て屋をしていたが町の賑わいは乏しく商売はままならなかった。
だが鉱山の羽振りの良い噂を聞きつけると心機一転をかけ現在最も勢いのある振興の町であるこの山の町に店を構えようと決意をした。

といっても、ただ活気や賑わいのあるだけで決めたわけではなかった。この鉱山に新しい働き口を求めた人たちのほとんどが着の身着のままやってきた人であった。鉱山は洞穴の中に入っていって石を削って割るのだから当然着るものは岩石のかけらや泥などによって汚れるか尖った石の先や工具を振り下ろす身体の摩擦によって破れるのである。

1日何十人とも山の中に入っていくわけで、それが毎日交代して続くのだから着物はすぐにボロボロになるだろうと夫婦は考えた。
そして山の住人たちはその鉱物がまた市場で高く取り引きされるので下の町の住人と比べて金持ちだった。なので着物への出費も出し渋りはしないだろうと夫婦は目論んだのである。

需要は充分以上にあった。夫婦は仕立ての他にまっさらな白い服の販売も行うことにした。
下の町では白の色が汚れが目立つとか派手であるとかあるいは死装束を彷彿させるとして縁起が悪い、手直しや手間がかかると全く売れなかったものが振興の町では作業中の汚れや破れがすぐ見え仕立ても短期間で仕上げられるという文句で売ったところ、これが大当たりだった。

暗い洞穴の中でも白い色が目立つと遭難などの事故を防止する上でも白い色は役立つと鉱夫を雇う会社が夫婦の店を専用の取り引き屋にした。そして夫婦はこの町の仕立て屋の一番乗りだったのだから他に競合する物もいなかった。

そもそも山の中で仕立て屋をしようと思うものはいなかったのだ、夫婦のかけが当たったのだ。
白い服はこの鉱山の町を象徴するまでにもなって、その白い服を着た者はこの山の町の鉱夫だと言われるほど売れたのだ。

下の町から山の町の鉱山への出稼ぎ者たちはいつから鳥と言われるようになり、山へ行っては帰ってきてまた山へ行く様子が鳥のようだとなぞらえられた。彼らは白い服を着て町へ帰ってくるのでそれが白鳥のようだという者もあった。また仕立て屋の夫婦も服を繕うを略して梟(ふくろう)という洒落と親しみを込められて言われるようにもなった。

梟の夫婦は下の町にいた頃とは比べようにないくらい金持ちになって町の真ん中に大きな店と住居を構えた。
だが仕立ての仕事は大変だった。次から次にひっきりなしに仕立ての依頼が舞い込んでくるので服を売っては仕立て売っては仕立てと忙しい。作業員も何人か雇ってはいるがそれでも人手が足りない時もあった。

作業が夜遅くまでかかりやっと夫婦の時間が持てる頃は子の刻辺りになることも少なくはなかった店の奥の居間から夫婦の細々と小さな会話が聞こえる。
「ねえあんた、私たちもうこんなに仕事しなくてもいいんじゃないかしら」
と女将は疲れのせいからかついこんな事を言った。「・・・・・・・・・。」
旦那の茶を啜る音だけが響く。
「仕立て屋をやめても充分食っていけるほど稼いだじゃないか、ずっとこんな事続けているとと身体がこたえてしまうよ」
「・・・・・・・・・。」
「服だけ売ってってもいいじゃないか、次から次に直してたんじゃいつまで経っても終わらないよ」
「・・・・・・・・・・・・。」
旦那は押し黙ったままだったが茶を一度啜ると「・・・じゃあ、仕立ての方をうんと高額にしよう、それで少しは負担が減るかもしれん」と提案した。

早速夫婦は次の日から仕立ての依頼を従来の金額の7倍以上に、白い服の売る値段も従来より3倍高くした。
すると仕立て依頼のほうは徐々に減った。服が破れても新しい服を買う方が安いのだから当然である。値段を上げられても白い服は相変わらず飛ぶように売れた。

昼間雇い人たちに店の仕事を任せると夫婦にかかる仕事の負担は減っていって、休んだり散歩に行ったりする余暇ができた。夫婦は久しぶりに暇を楽しんだ。下の町にいた頃はあれほど暇に苦労をしていたのに今では暇がこんなに心地よいものだったのかと暇の有り難さを噛みしめていた。

鉱山はまだ衰えも知らない勢いがあった。だが勢いがあるということは良い事だけではない。鉱山はいつの間にかその坑道は無数に延びて外から見ただけではわからないくらい内部の規模は大きなものになっていた。鉱夫たちは鉱石の採れる穴を転々と移動するか穴の奥深くまで掘って入っていくようになっていた。

鉱山は常に危険と隣合わせであった。鉱石は無害なものばかりではない、毒を出す有害な鉱石も同じ場所にあれば落盤や地下水の浸水により埋まってしまうこともある。この山の町の鉱山でも事故は実際少なからずあった。鉱夫たちも危険には細心の注意を払っていても暗闇の狭い坑道の中ではなかなか鋭敏に身動きが取れない。

坑道の奥深いところで鉱毒ガスによる事故は何度か起きた。死人が出た事もあったし、死人が出なくとも有害な毒ガスによる中毒症状が残ってしまうこともあった。鉱夫たちは常に死の危険と隣合わせだったので鉱山を仕切る会社は坑道の奥深いところに入っていく鉱夫たちには報酬を高く設けて人数を募っていた。

その危険に集まる働き人たちは烏と呼ばれていた、彼らの鉱石を探す様子がめざとくまた恐れ知らずの烏のようだという蔑称でもあった。白い服を着た烏たちは坑道の闇深くまで潜っていって石を集めて地上に戻ってきてはまた穴に入っていくのだ。

その烏の鉱夫の一人が梟の仕立て屋にやってきた、烏の作業服は人一倍深いところに入っていくものだからひときわ汚れが目立っていた。「ごめんください」
「はい、何の用事でしょう」
梟の仕立て屋の売り子が返事をする。
「服を買いにきたのです」
「ええ、ええ、こちらの白い服のことでしょう」と言って売り子は店の壁にかけられた白い作業服を指差した。
「ええ、それも頂きますが、それとは別に黒い服はないでしょうか」
「黒い服、」と聞いて売り子は考えた。

白い服の他にも服は取り扱ってはいるが黒い色の服はあっただろうかと思って、裏にいた女将さんに聞いてみる。
「黒い服か、そんなものはないねえ」と言うので客にその訳を話すが鉱夫はどうしても黒い服が欲しいというのでもう一度女将さんに言うと「じゃあ、白い服を黒く染めてやればいいじゃないか、その代わり高額にするのさ」
と言うので鉱夫の客に金額の事と染め上げるまで何日かかかる事を話すと彼はそれでいいと承諾した。

黒く染め上げるのに鉱山から出た廃棄用の土砂と町の古い生業である炭焼の炭を貰って染めた。土が金属を含んでいるからか黒く染まるのが幾分か早かった。

数日が経って白い服は黒く染め上がったが、鉱夫の客はなかなか店に現れなかった。
やっぱり買う気なんてなかったんじゃないか、黒い服なんていったいどこで着るつもりだと話しながら夫婦が朝食を食べ終え茶を飲んで一服していると、「ごめんください」と外で声がした。

店はまだ閉まっていて、売り子を呼ぼうにも面倒くさい。それにたぶんこの客はあの鉱夫だろうという自信があった。黒服を取りに来ただけなのだから事はすぐ終わるだろうということで女将が特別に相手をする事になった。

店の扉を開けると青白くやつれた顔の覇気のない男が立っていた。白い服を着ていたので鉱夫であることは間違いない。
「どんな用件でしょう」
「私は数日前にここで黒い服を頼んだ者です。お品を受け取りにきました」と言うので、やはりあの鉱夫だった。
女将は待っていたとばりに
「ええ、聞いております、今お持ちいたします」といって棚に置いてあった黒い服を鉱夫に渡した。
男は顔を綻ばせると「ありがとうございます」といって深くお辞儀をして服を受け取るとそのままゆっくりと静かに歩いていった。
女将は「(そんなに黒い服が着たかったのかねぇ・・・?)」と彼の行動をしげしげと不思議に思っていた。

鉱山の大事故の速報が飛び込んできたのはその何時間か後だった。鉱山で大規模な爆発が起こったのだ。坑道は爆発の衝撃で深部への道は落盤し、中には烏と呼ばれる鉱夫たちが何十人も取り残されていたがたとえ爆発の直撃を免れていたとしても状況は絶望的だった。

手前側で働いていた鉱夫たちも火傷を負ったり、落ちてきた石で骨折をした者もあった。噂によると誰かが深部にあたる場所で火を使ったらしかった。それもマッチやライターのような火ではなく発破用のダイナマイトを持ち出したのではないかという噂も立てられていた。


今回事故が起きたのは主力の坑道だった為にその損失も大きく、なかでも深部で危険な仕事をしていた烏という存在が明るみに出たいのが大きかった。会社は烏を高収入をダシにして募集を募っていたが、実際烏たちは高収入というほど労賃が高い訳ではなく労働環境は最低に近い劣悪なものだったという事実が新聞社によって取り上げられると、会社はこれを謝罪したが世論の反応は冷ややかだった。

町の鉱山の評判が悪くなるのを恐れて会社は鉱山の規模を縮小することを発表した。
そこで思わぬ仕打ちを受けたのは梟の仕立て屋だった。鉱山の規模が縮小する事で白い服の受注が減るのはそこまで重要な事ではなかった。

問題は烏と呼ばれた他の鉱夫たちだった。彼らは自分たちの働き口がなくなったのを会社と取引があった梟の仕立て屋の一因もあるとして詰めかけたのだ。
梟の夫婦はなぜそこまで自分たちが言われなければならないのかわからないし不服だった。彼らは理不尽な腹いせと八つ当たりを自分たちにしているだけだと思っていた。ある時烏の一人がとんでもない事を言った。

「おれはあの日見たんだ、あの男が黒い服着て穴ん中、入ってくのをな。穴ん中はうす暗くてな、目が利かねえんだ、だから白い服着てみんな目印にするんだ。黒い服着てたらコソコソ何しててもわかんねえ、たとえ火ぃつけたとしても、みえたときにはもうおせぇ」
夫婦はまさかと思った。

黒い服を所望したあの客が事故を起こした犯人だとでも言うのか。その噂は烏たちの間では真実だとして広まっていた。直に烏たちは新聞社の記者と結託して事が報道されると記者は連日昼夜を問わず梟の仕立て屋にやってきては、鉱山の会社との関係をしつこく問われた。

このままでは気が狂ってしまうと夫婦は儲けていた時に建てていた町の奥の別荘に移り住むと何と仕立て屋を辞めてしまったのであった。それでも最初は度々、烏や記者から手紙が届いていたようだが夫婦のその後は誰も知ることのない事になった。

夫婦が仕立て屋を辞めた時から5年後、鉱山は閉山することが決まった。町はあの事故の時から人口が減少し始めていて、すっかり元の集落と呼ばれていた頃に戻った。
そして現在、この集落に住人は一人もいなくなった。
たまに下の町から炭焼き職人と鉱毒の研究者などが訪れる以外ここには人が誰もいなくなった。草木が生い茂りかつての町は山の奥深いところにあった。建物の残骸は自然に浸食されて原形もなく朽ちている。



選外