ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

湯は万物の頂にて

「湯は万物の頂にて」

 

湯船の中に柚子を一つ浮かべて柚子風呂を楽しむ。といってもほとんどは柚子の入浴剤に頼ったから本物の柚子は一つだけ。見切り品で2つ3つ入っているのを買った。傷みの少なかったのは湯豆腐に入れて使い、残りはきゅうりと大根と人参の浅漬けの中に入れ漬けておく爽やかな風味の漬け物が食べたくて。柚子の風味が好きなのだ。残った一つはちょっと贅沢だけど丸ごとお風呂に使った。まずそのままよくイメージする柚子風呂というような感じでお湯に浮かべてみたけど、一個だけだとおもちゃが浮かんでいるみたいになる。それだけで匂いがする・・・かは微妙だったので入浴剤の出番。薄いオレンジ色の湯と浮かぶ柚子。
私はこういう特別なお風呂が好きだった。石鹸バブルなお風呂とか、ローズ風呂とか花を散らしたり香油を垂らしたりするような贅沢なお風呂タイムを楽しむことが趣味みたいなとこがあった。最初は大変だったお風呂掃除も今では次の風呂は何にしようかとワクワクするようぐらいには慣れたものだった。
今宵の柚子風呂。水面に顔に近付けてみる。浮かんだ柚子を手にとって、ふやけた皮を少しだけ押してみる。少し傷んではいるけど香りはやっぱり柑橘の清々しさがある。本格的な柚子風呂だったら大量の柚子が浮かんでいて見た目に感動するだろうと実際に行って楽しむのもいいんだろうけど近場でやっている所がないから残念だ。
温泉の露天風呂の中に柚子風呂。湯気の中に眩しく黄色。情景を想像したら露天風呂が欲しくなった。露天風呂付きってどんな家だろう、山の中湖畔の中、木で出来たログハウスのような家・・・?木でなくてもいいけど都会の真ん中じゃまず露天風呂なんて無理だ本当に色々。北海道みたいなだだっ広い360°平野の大自然って感じの場所ならどうだろう。いやダイナミックすぎて柚子が霞むな。そんな他愛のない想像を張り巡らせて今日もゆっくり長風呂に。まあお風呂の温度は低めに設定しているんだ、この時の為に。
さて今度はどんなお風呂にしよう。そうだ久しぶりに外のお湯でも楽しもうかと銭湯に行こうと思いつく。隣町に24時間の大きなスーパー銭湯というのがあって薬湯や電気湯、ラジウム湯とかうたせ湯と10種類ぐらい湯船がある。お風呂のデパートみたいな感じでロウリュを備えたサウナもあるし岩盤浴もあるし簡易宿泊も出来るのだ。癒やされるというよりはワクワク遊びに行くような楽しみがある。次の休日はそれだ、そこに行こう。
雨ということもなく快晴だったのが嬉しい。自転車で汗を流してこの汗がお風呂の楽しみを引き立たせてくれる。家から隣町までは距離こそは遠くはないのだが少し上り坂になっているのだった。帰りは湯上がりの火照りが下り坂の心地よい風で冷めるだろう。時折自転車を止めてスマホで地図を確認する。道は合っている。そのまま進んでいくと上の方に大きな赤い文字で「湯」とかかれた看板がにゅっと姿を表した。
ラジウム湯」「お食事あります」とかかれた旗が立っていて縦に高いこの銭湯。広い道路の目の前に立っていて駐車場には正午すぎでも結構車が泊まっている。ご飯を食べに来たわけでもないので私はゆっくりとお風呂に浸かるだけだ。
チケットを買って受け付けを済ませると館内は車の止まっているわりに人は少ない。皆お風呂に入っているのだろうか。と思って脱衣所にも人は見あたらなくて、浴場への扉を引くと洗い場にも誰もいない。一番シンプルな大浴槽の方は湯気でよく見えなかったがたぶん何人か入っていると思われた。何分お風呂の種類が沢山あるものだから皆思い思い好きな湯船に浸かっているのだろう。普通は家から持参するシャンプーや石鹸を使わずに銭湯備え付けのものを使うのも味がある。嬉しいことに馬油なんてのも置いてある、イマイチ効果はよくわからないけど。
お風呂の入る順番はこだわっている訳ではないけれど今日の気分的に泡風呂を初めにチョイスする。泡が浮いて水面がぼこぼこ泡だつ。入ってみればなんてことのないお風呂だけども家庭では泡立たせるなんてほぼ出来ないので、外での楽しみといえば楽しみだ。サイダーの中に入ったような感じがするけど炭酸水という訳ではないんだなあと底にある泡の発生装置を踏んで思う。ブルーやグリーンのクリームソーダ風呂なんてあったら可愛いだろうな。薬湯は壺の形をした浴槽に入れられている、魔女の秘薬のような感じ。長く浸かることを想定しているのか
ラジウム湯はぬるめの温度。長湯向けなのか。
水風呂の水が足にかかってヒンヤリする。サウナに入りたいのは気分によるので今日は特にその気ではないが銭湯などで水風呂に入っている人を見かけるといいなと思う。
そろそろ露天風呂にと露天の扉を開けると、すうと甘い匂いが漂ってくる。見れば露天風呂には果物が浮いていた。林檎?思いがけず驚いた。今日は何か特別な日なのと思っても特に思い当たりはしないのだ。そしてやはり私以外に誰もいない。入ってみてさらにびっくりしたのは湯の色が濃い茶色だと思っていたがこれが湯を掬って嗅ぐと紅茶のようだった。アップル風呂?まさか、と思うも湯を舐める訳にもいかず。しかし林檎は本物のようだ。
不思議に思っているとガラガラと扉が開く音がして入ってきたのはなんと、大きな猿だった。えっ、と私は硬直するが猿はきちんとした二足歩行でハンドタオルを片手にそそくさと湯に浸かりにやってくる。猿は気持ち良さそうにして目を細めていた。そして浮いた林檎を手に取るとそのまま優しくかじりつく。猿は頭が真っ白になった私を見て、この林檎は食べれるのだという風にジェスチャーをした。そしてしゃくっと小刻みのいい音を立てながら一気にかじりついていた。私は促されるままに林檎を手に取り恐る恐る一口かじってみるとアップルティーのような味がした。ほらね、美味しいでしょ?という風に頷く彼女(?)に私は張り付いたような笑い顔を見せながら林檎を持って露天風呂を後にした。
私はのぼせてしまったのか?まさかあんな猿が見えるなんて。それでもまだ火照りもふらつきもないしお風呂は楽しみたい。
内風呂に戻ると洗い場の音が反響して賑わっている。しかし私は浴室内をぎょっとして絶句する。泡風呂の湯の中に入っていたのは頭の耳が2つ上につんと立った大きな犬がお座りしていて、打たせ湯に浸かっていたのは馬の頭で気持ち良さそうに首に湯を当てていた。ネズミの頭をした小さな子どもがすすっと電気湯に入っていく。二人連れでいた猿たちが大きな湯船に浸かりながら話していて、私もその湯船にそっと入ってから隅っこの方で聞き耳を立ててみると
「この間あそこの温泉に行ってきて・・・」
「あら、母娘でなんていいわね、ウチは男所帯だもんで・・・」
なんて普通に私たちの使う日本語と一緒で内容もご婦人方の会話と変わらない。彼女たち顔は動物なのにそれ以外はまるで人のようだった。湯にそれぞれ動物の毛が浮かんでしまうところや時折出る獣の鳴き声のようなものを除けば。皆二足歩行して日本語を喋りお風呂を楽しんでいる。完璧なアウェー感。大自然の中のお風呂ってこんな感じなのかしらと私の頭が煮だってゆく。
「あら、お姉さん大丈夫?顔が真っ赤!湯あたりしてない?」
という言葉をかけられてハッとする。元から顔の赤いお猿のご婦人方に会釈をして私は湯から上がった。
もう今日は帰ろう、そんな気分になって浴室を後にする。火照った体に脱衣場の巨大な扇風機が心地よく、セルフサービスの冷水を飲むと少し落ち着いた。脱衣場はがらんとしていて私以外に人の姿は無かった。ロッカーの鍵を受け付けに返せば、受け付けの眼鏡をかけた女性が申し訳なさそうに、小声でこちらに話しかけた。
「あのう・・・お客様、本日は割引き行っておりまして、最初の受け付けの方で割引きされてませんでしたよね?」
「えっ・・・あ、ええ・・・そうだったんですか?」
「本当に申し訳ございません!あのこちら・・・回数券の方差し上げますので、次回もよろしかったら是非・・・」
と言われて差し出される6枚綴りの回数券を一応受け取ってでも私が気になったのはあの動物の・・・いや、それを言うのは何だか憚られた。
「今日が割引のある日って言うのは知らなかったんです」
「すみません、お伝え不足で・・・」
「いえ、あの、全然いいんです、いいんです!」
なんていうか人と会話してるというだけで自然と現実に帰ってきた気がしてくる。
外はまだ暑くて西日が照りつけていて、自転車で帰るのだから汗はかきそうだ。これは家に帰ってもう一度風呂に入る感じだなと私は決意する。特に凝った風呂じゃなくて普通の温泉の入浴剤にしよう。草津の入浴剤があったと思う。
駐車場に入ってきた車があってあの浴場に入らないいったらどう思うのだろうとか余計な事を考える。いいや、お風呂の楽しみ方は千差万別。入って来た年配のご夫婦の会話が少しだけ聞こえた。
「なに年だったっけ?」
「ひつじよひつじ」
「嘘ばっかり。とらでしょ?おれと一緒なんだから」
私は思わず自動ドアの開いた銭湯を急いで振り返った。ああそういえば私は亥年だなあなんて思いながら、家のお風呂はとても快適だった。

 

2023に送ったやつ一つめ。前後で脈絡なく唐突な展開なのが分かる・・・銭湯の件とか何故いきなりそうなるのと無理やり強引すぎて最初の方と何の繋がりあるのかっていう・・・。