ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

おんな⑤

私はテレビを消した。スマホからお気に入りの音楽のプレイリストをスピーカーに通して家の掃除をすることにした。今日は仕事休みなのでゆっくりとできる。
私は休みの日でも昼前まで寝ないように気をつけていた。生活のリズムを崩さないためである、前までは昼前後に起きることもあったがそれは2年前にやめた。

一度起きるリズムが崩れてしまうと身体の疲れが取れないのであった。ことさら最近は特に疲れやすいのだった、年齢が身体の鏡のようなのだ。
朝から掃除をして適度に身体を動かして、食べる物もなるべく健康的に。健康的にしたい、というよりは身体がそれを求めているようなのだった。私はふぅ、と息を吐いて掃除の為に気合いを入れた。掃除をするとき一人暮らしというのは気楽なもののように思う。

相手の私物を動かしたとかそういうことがないし掃除ができない、しづらいということがない。そのかわりに労いもなければどういった物を処分して新しく買って置くかといった話し合いもない。二人用の家具は私には不要だった。

どんなに二人用がデザインが優れていてシンプルでオシャレで気に入ったものだったとしても私の家には大きすぎるのだ。

私の家に今何が必要でどの色の家具が似合っているのか、学生であれば友達とそうしたことを言い合ったかもしれない。
でも私はもう若くはないのだ。そういった会話を楽しめる相手は私にはいないのだ。でも私は一体誰が欲しいのだろう、夫、恋人、友達、

男、女、私の内側から滲み出るこの焦燥は何なのだろう。私は「何か」と繋がっていたいのだろうか、何かに満たされたいのだろうかそれとも私が何かを満たしてあげたいのか。

私は突然に沸き上がる腹の奥の熱くうねる何かを満たしたくなった。
私は見える場所はあらかた綺麗になったので掃除の手を止め、音楽も止めてスマホを持ってベッドに横になった。
ちょうど昼に差し掛かった所で窓から差し込む光は白く暖かい。私は自分の手でゆっくりと自分の身体をやんわりと掴んでそして優しく全体を撫でると、片方の手で下にそっと触れた。

撫で触れていて私の頭の中ではかつてどこかで見た何かの濡れ場のシーンのようなものが再生されている、私の脳内で男の湿っぽい声が私の名を呼んでいる、男の大きくてかたく熱帯びごつごつとした手が私の身体を撫でている、身体を震わせる。息が上がる。熱っぽい。

私は白昼の中、慰めていた。中学生の少年のようだと自分で思う。私の性欲の強さは男の子のそれのようで、寝付けないときや寝る前にたびたび自分を慰めることがあった。いわゆる”おかず”はどこかで見聞きしたドラマや小説の濡れ場のシーンであった。

私は抱かれている女に自己を投影してしまっているのだった。だけど私は実際に男とそうした経験はない。この欲求不満は無作為に相手を変えてセックスしている夢となって現れることもあった。

自分では欲求不満とは感じてもない。相手の誰かもただ相手として現れる特定の誰かであって私が好意を抱いているとかそういう事でもないのだ。

私の無意識や身体は誰かを、男を求めているのだろうか、私は女として完成したいという意識がどこかにあるのかもしれなかった。
男のいう”男は女を抱いてこそ男が始まる”という下世話なそれを私はそのまま意味を置き換えた”女は抱かれてこそ女として始まっている”という風にしっかりと受け止めてしまっているのだった。

この年まであるいは私より年上の女で恋愛らしい恋愛をしたことのない人はわりといるのかもしれないがセックスをしたことのない、処女であるという人はどれくらいいるのだろう。
恋愛はしていなくても身体の経験はある、という人たちはわり意外といるように私は思っていた。

恋愛がどこかの折に結婚をしたいという想いが真剣に芽生えるものがそうならそれを思わなかった相手は恋愛ではなくなるからだ。
それなら、恋愛相手じゃなくてもセックスは出来るのだ。そういった遊びの経験がない私の身体は恋愛と紐付けされているのだろうか、私がセックスをするときそれは恋愛を、結婚をするときになってしまうのだろうか。

やっぱりそれは起こりえなさそうだった。私は敬虔な信念のある宗教者でも何でもなかったから処女であることは特に意味のある誇りでもない。
掃除もして少し汗をかいていたので私は風呂に入ることにした。真昼間の半身浴は誰にも咎められない私の空間だった。




表現等、かなり露骨なので駄目だったら消します。