ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

おんな⑥

この日は倉田と仕事上がりの時間が久しぶりに合ったので私たちは仕事場のあるフロアから一階のホールまで行く間一緒に帰って話をした。「ねえ、青山はもう結婚しないの?」倉田が唐突に聞いてきた。
「え、なんで」
「・・・いや、なんとなく」
倉田がこういう事を聞いてくるのは珍しかった。私の恋人に関しての話題はまだしも結婚に関しての話は触れられる事が滅多になかったからだ。
「倉田が誰かいい案件見つけてくれたの?」と私は逆に聞いてみた。すると倉田は「紹介しろと言われたら紹介できるかも」と微妙な返事をした。
「ジム友達の知り合いっていうか、その繋がりだけど」と続けて言った。
「ジム友達って、あの青年の知り合い?」
「そう、角田くんの」
私はいつの日かに倉田のジム仲間の青年と倉田の関係を邪推していて、てっきり倉田にとって隠しておきたい事だろうと思っていたがその後で倉田が自らあの青年の話題を持ち出してきたのだ、おかげであの青年には「あの青年」ではなく角田くんという名前があった。

「年下は怖いんじゃなかったっけ」と私は少し意地悪に言った。しかし倉田は急に真面目なトーンになって「うん、怖い。怖いしよくわからないけどでもなんかそれがいいって思えるようになってきたかも」と言った。

私にはどういうことなのか意味の見当もつかない。確かに角田とSNS上で親密そうなやり取りをする倉田を目にした時私は年下に抵抗感のようなものがあるという倉田をフッと嘲笑ったが、実際に倉田の心変わりがあっさりと示されたのにいざその口から聞いてみてわからないのだった。

「うーん・・・なんか、難しい」と私が洩らすと彼女は「私、角田くんたちと出会ったことで色々見方が変わったのかもしれない」とまで言い出したので私は驚いた。
同時に何だか倉田がさらに遠く速くなってしまったような気がした。仲間がいなくなったような寂しさだといっても倉田は過去に一度結婚をしていたのだ、それでもどこかもう結婚は特にどうでもいいような心意気を私は感じていた。誰がイケてるとか恋愛の話だってただそこだけで終わる娯楽の話のようなものだと私は思っていたのだ。

その後で実は・・・と倉田から角田と付き合いはじめた事を切り出され、私は単純に「なんだ、へぇ、いいじゃん」とだけ言った。そして私たちはそれぞれ別れた。倉田はこれから角田と食事に行くというので「おっ、是非楽しんで。」と口だけは応援した。

私は一人で街の中を歩きながらぼんやり物思いに耽っていた。
私の邪推はただの妄想でなく現実になってしまっていたのだった。倉田のジム通いはいつの間にか恋人たちの待合所になっていたのだ。

私は裏切られたとか悔しいとかそういう気持ちではなかった、ただなんだかとても虚しい気分だった。弱々しげな調子で(ああ、そうか、そりゃそうだよなあ・・・)という言葉が頭の中に響いていた。

辺りは帰宅時間なのでそこそこに人の往来はあった。目の前のビルから仕事帰りだと思われるオフィススタイルに身をつつんだ男と女が出てきて何だか楽しげに会話をしていた。
二人は一緒の会社で働く夫婦なのだろうか恋人なのだろうかそれともただの同僚なのだろうか。私は素性の知らない二人の後ろ姿を眺めながら(ああ、やっぱりそうだよなあ、倉田も、あの人たちも、)と思わざるを得なかったのだった。

年齢が私をここまで追い詰めるのかと私にはわからなかった。人間100年時代とするなら、約3分の1にようやく届くくらい、まだそれくらいであるにも関わらず私は何かに動かされ焦りを感じている。

私は仕事が凄く出来るとかそういうわけでもなかった、ただのその辺にいる女の一人にしか過ぎなかった。特別でもなんでもないのだ。

だから私は早く”普通の”女になりたいと焦っているのだ。男と交遊経験があって恋愛もほどほどに、結婚をして、別れたこともあって、年下に人生にアドバイスができるようになって、とりあえず男と一度も寝たことのなくて触れてはいけないと思わせる重たい女でいることは何のメリットもないのだ。

私の前にまだ生暖かさの残る湿った風が吹いて、街は夜に向けて看板が色めき立つ。向かいの信号側に背の後ろが開いた露出の高い服を纏った女たちが歩いていた。

皆堂々としているように見えた、女の自信がそこにあるように思った。
私は彼女たちを尻目に家路へと道を歩いた。