ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

おんな⑩

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クリスマス当日。仕事だったが、業務はほとんど雑談しながらの作業になった。
倉田は彼にプレゼントを用意するのに大変だと言っていた。
高岡はこどもの為のプレゼントを今年は奮発したと言っていた、夫にはささやかなものをサプライズで上げるという。

イベントを充分に楽しんでいる気がした。
クリスマスということと粗方前日までに重要な部分は終わらせていたので午前で仕事が終わりになった。
私は一応近くの洋菓子店でケーキを買ってきて肉屋ではフライドチキンも買ってみた。
小さな机の上のミニツリーは一週間前から飾ってみた。一人でクリスマスを過ごすのだ。

疫病が流行り、規制されている中、客足は鈍いとメディアは言っていたが外に出ている人は割といたと思う。
しかし例年ならカップルだらけのこの日も今年は幾分か独り身の姿も多かったように思えた。
家族代表として買い物をしにきて家で家族が待っているのかもしれないが、クリスマスに独り身でいるということの後ろめたさのような寂しさをお陰であまり感じにくかった。

見える、見えない、視覚は私に色々な錯覚を見せると思う。
彼らが一人でいることも彼女たちが二人でいることも私はその人たちの実際の本当の関係を知らないし、実は誰かと繋がっているかも知れないのに孤独だと決めつける、私はとても身勝手でお節介だと思った。

あのホストの彼との一件以来、私はなんだか急に処女だとかセックスだとかに冷めてしまった。彼との会う約束が明後日に迫っていたが、すっぽかしてしまおうかと考えていた。
あの時、私と彼はパソコンの画面の前で裸になって身体と性を快楽の前にありのままの自分を見せ合おうとした。
彼は男のそれを私に見せつけ画面の向こうで一人で果てていたが私はそれを眺めるだけだった。

私も自分の快楽がなかったわけではない。
だが彼の先走る快楽に私はついていけなかったのだ。
画面上だからということもあるのだろうか、だが実際に触れられても私と彼との距離は埋まらないと思った。

私が彼に、というより男に、男の快楽についていく気力がないのだ。
彼が女を抱くのは大切な自分の客だからなのだ、私はその一人であってただのモノだ。
そこに私自身への理解も何もないのだ。

処女を失うことがやはり怖くなったのかと言われればそうだ。
処女に価値があるというのを守ろうとしているのかそうではない。
私は私の貞操とともにあった、ただそれだけ。誰かについていけないと思うのは本当はついていきたくないのだ、誰にも干渉されたくない。

きっと私は私自身が好きなのだ。本当に結婚もしたくない、実際の彼氏も恋人もいなくても構わない。
私は私だけでも十分に気持ちがいいのだ。
私は私の理想の創造の中に遊ぶことが好きなのだ。

究極のナルシシズムにも見えるだろうか、私は私の中で完結する、少なくとも今は。

これから先に私は本当に外に誰かを求めに行きたくなる時があるかもしれないがそのときはそのときだ。

時が来るまで、私は自分自身と遊ぼうと思った。思う存分、まだ私は私と一緒にいたい。

疫病の渦中にあり交流が制限される中、人と人は寂しさを感じ始め出会いと付き合いを求めてこの状況の中で結婚をする人が増えているらしい。
倉田も角田と近々結婚を考えていると言っていた。倉田は私に独りで寂しくなったりしないのと聞いたが私はどこまで独りでいられるか楽しんでいると返した。

倉田は「青山ってやっぱり人間じゃないよ」と言って「いい意味でね」と付け加えた。皮肉でも嫌みでもない、その通りだと思った。

私は好きで処女のままでいるし恋愛らしい恋もしなければ恋人も作らないし結婚の考えもない。強がりだと思うなら勝手にそう思って笑えばいい。拗らせ地雷女だと思うならそう思え、私は私の為に生きて楽しむのだ。



応募した箇所はここまでになります。お読み頂きありがとうございました。
解説文的なものはまた別に書きます。