ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

ひみつ

乾いた風が身に堪える季節になった、雪こそは積もらないが冷える日の明け方には霜が降りていたり氷が張っていることもあった。ああ、もうこんな季節なんだと思った。12月は師走というがその通りで何かとイベント事が大詰めなで忙しい、特に月末。

クリスマスから大晦日お正月の流れは特に急だ。クリスマスツリーを飾ったと思ったらすぐしまって門松しめ縄を飾らないといけない、しかもそれだって7日経てば捨ててしまうのだ。その流れの速さにはいつも辟易する、別にクリスマスツリーもお正月と一緒に飾っていてもいいじゃないかと思っているけど、お母さんにそれを言うと怒られた。
「お正月にクリスマスツリーを飾っている家なんてないじゃないの!」
それはそうなのだが、毎年毎年出してしまっての繰り返しじゃなんかシステマチックで逆に風情がなくない?なんてわたしは思う。さて、この時期になると我が家では恒例の大掃除が始まる。自慢じゃないが我が家は大きな家である。古くからこの地域に住んでいたらしい我が家は地元ではちょっとした名の知れた家であった。(苗字を名乗ればだいたいああ、あそこの家の・・・と言われるのだ)

見た目は古い日本家屋といったところでひしめいた瓦屋根はいかにも荘厳な門構えである。2階があるのは比較的近年に増設した場所で今主要に出入りしている住居部分はこちらにある、わたしの部屋も2階にある。この新居から渡り廊下で繋がった旧家屋があった。
元は平屋建ての旧家屋には部屋の数が結構あって、祖母たちがいたときは祖母たちが住んでいたが10年前に祖父が他界し今は祖母が施設に入ってしまったので現在はほぼ人の気配はない。

もともと人がいたときですら一部分しか使っていなかったのだが旧家屋の掃除は部屋が多くしかも古く物置代わりに様々な物が置かれているため物をどかしたりするのは骨が折れるし面倒なのだ。だいたい長くて一週間くらいかかるのだった。しかし旧家屋の大掃除は我が家の重要なイベントだった。

大掃除は壮大だった。代々新居の方よりも旧家屋の方が大掃除に力を入れるのが定めだった。なんでも旧家屋には神様を祀っているから毎年ちゃんと大掃除をしてあげないと祟りがあるとかなんだとか聞かされた。確かに小さい頃夜に肝試しと言って従姉妹と旧家屋に行った時は怖くて泣き出したことがある。祖父母は新居側で生活していたから廊下を奥まで歩いていくと真っ暗で人気がなくて不気味だったものだ。
今年も恒例のクリスマスツリーを庭に運び終える、やはり壮観だ。我が家のクリスマスツリーは高さは3メートルくらいはあるとても立派なツリーだった。といってもその場所に自生してるわけではないからただ飾り付けをしたわけでない、ここに持ってくるのでその出し入れに毎年大変なのだ。
しかもわたしがその運ぶ役目なので割に合わないといつも思っている。それでもわたし一人で何とかなる重さだったが・・・。出し終えて窓からお母さんに呼び止められた。これから旧家屋の掃除を始めるらしい、とうとう来たか。

旧家屋はだいたい物置になっている奥の部屋から順番にやっていくが、まずはじめに一番奥の神様を祀っている部屋で挨拶をする所から始めるのが慣例だった。
ガラリと襖を開けると埃が立った、日の当たりにくい部屋だからか部屋の中がカビ臭いというほどでないが独特のこもった匂いがした。わたしにとっては一年に一度の懐かしい匂いでもあった。
明かりをつけて部屋の中に入ると仏壇が右手にあった。実は仏壇は新しいもの(祖父や曾祖父母が入っている)があるが此方のそれはとても古いもので、代々昔からの先祖はこちらに眠っていて母方の先祖の特に女が入っているという。

というのも家は代々女系でその為苗字もずっと変わらず継承されていた。男親は常に婿として迎え入れられた、わたしの父も入り婿だったから娘のわたしは父方の苗字は名乗らない、というよりは名乗れないのだった。
母には弟がいて、(つまりわたしの叔父さん)叔父さんは家を継承しないのかと思ったが、継承権がそもそもないらしい。ので叔父さんは母方の苗字を名乗れないらしく叔父さんは祖父の旧姓を名乗って生活している。(祖父も入り婿だった)

家では男に生まれると代々の苗字を名乗れないばかりか墓や仏壇まで女方優先というから男に生まれたら色々大変だっただろうなと思う。どうやら家は何かと女の方が強いらしい、その証拠がここにあった。

古い仏壇の前に置かれているのは子どもの背丈ぐらいの石樽と木彫りのわたしの背より少し小さいくらいの観音様の像が備え付けられた台座(この観音像の為に専用で昔から家にあったものらしい)に逆さまに立てて置かれてあった。この観音像は何故家にあるのかと思うくらい立派なものだったので、先祖が寺から盗んできたものじゃないだろうかと所業を疑ったりしたがそうではないらしい。
でも逆さまに置いてあるという奇妙な状況は罰当たりもいいところでいつか地獄に落とされやしないかと毎度ヒヤヒヤしている。

さて、この仏壇と仏像と石樽の前にわたしたちは座って手を合わせてまずお祈りをする。
「今年もありがとうございました、来年もどうかよろしくお願いいたします。」
と母が言うと三回南無阿弥陀仏と言って念仏を唱える。念仏はごく一般的なものなのだった。唱え終わるとここからが我が家の独特な儀式の始まりだった。
母に今年もわたしが行うようにと促された。さっきクリスマスツリーを出したばかりだというのに容赦ない、わたしは渋々立ち上がった。わたしは石樽の前に立ち石樽を持ち上げて見せる。石樽なのだから重たいが、仕方ない。
5秒くらい持ち上げた後で下に降ろすと今度はあの観音像だ、観音像の台座から逆さまの観音像を持ち上げ逆さにひっくり返すと正常の位置の観音様が姿を現したがまたひっくり返して逆さまにして置く、ここまでが一つの動作なのだ。

そしてまた最後に座って念仏を唱えて儀式は終了する。これが我が家に伝わる不可思議な風習である。
石樽も観音像もそんなに労をせず持ち上げることができた、庭のクリスマスツリーも同じだ。
わたしの見た目が特別大柄だとか筋肉質であるとかそういうことはないと思う、至って一般的な容姿だ。何故だか特別に力を入れる訳でもなく重たい物をそのまま持てるのだ。

特別に力を入れる訳でもなくそのまま持てるのだ。これは母も同様だったからわたしはそれが普通なのだとずっと思っていたが、どうも違うらしかった。
一度父がこの観音像を持ち上げようとしてぎっくり腰手前になった事があったし、木も普通に持ち上げられるものではないと友達から知った。わたしは誰でも持ち上げられる軽い木の種類があるのだと思っていた。

後に母から若い頃には地元のクリスマス行事で使う木を持ち上げ運んだことがあったと聞いた。10メートル近い大木だったと言っていたがそれを何本か母と祖母で運んだらしい。
祖父や地元の大の男たちはそれを目にして唖然と眺めているだけで何の役にも立たなかったという。我が家に伝わるこの力(怪力と言うらしいが)は何故か女にしか伝わらないのだった。

うちの家に生まれた男たちは皆ふつうの人で、力も人並みだった。当然仏像も樽も茶箪笥も簡単に持ち上げられない。
だからか男はうちでは立場が弱い。女に生まれたら家を引き継ぐことになるので婿を取る。男が生まれたら父方の祖父母に引き取らせることが多いという。
現にわたしにも弟がいるのだが彼はおば一家に引き取られて生活している。(今年大学受験だといって模試でも良い成績を取っているようで、しかし弟の苗字の複雑さはわたしも頭が痛くなる。)

この観音像と石樽は先祖と関係しているらしい、この重たい二つのものを持ち上げられる力を見せるために供えられている。
なんでも昔々の昔話の世界になるが先祖が神様を助けたとき小さな観音像をどかしたとか、村人に怪力をバカにされたときに怪力を使って石樽を抱えこんだとかでとにかく我が家では力のルーツに関わる重要な部分らしいのだ。
しかもこの怪力最初は男の人が持っていたらしいが、女に手渡しを絶対にしないようにという神様の言いつけをうっかり破ってしまってそれ以来女人にだけ怪力の力が伝わっていくようになったらしい、という嘘のような昔話。
だからか親戚もおじさんよりちょっとだけおばさんの方が多かったりする。

だから力仕事は家では全てが女の仕事で年末の大掃除で家中の物を動かすのはわたしたちなのだ。物を動かすだけでなく雑巾がけと掃き掃除も一緒にやるのだから手間がかかるし面倒なのだ。
それでも掃除をし終わったら他の家よりかはピカピカになっているような気がする。普通動かせないような場所まで動かして拭くのだから当然だ。
何だったら代行サービスとかを始めて友だちの家の物を動かしてあげるのも悪くはないかもしれない、なんて自分は疲れるし相手を驚かしてしまうからそんな事はしたくないけど・・・。

わたしたちの怪力はこの地域周辺に古くから住んでいる人たちは知っているが新しく住み始めた人たちは知らないのだ。

わたしが生まれたくらいから力を急を要する事以外に使うことはしなくなった。我が家の怪力はなるべく人目のないところで隠れて使うようにしたのだ。
だから広場のツリーはまだ夜が明ける前の早朝に運んだものだ、古くから地域に住んでいる人たちにはその力を披露していたのだが・・・わたしはその祖母の代から知り合いの人たちだけでなくわたしの友だちにもこの力の事を打ち明けたいと思っていた。
わたしの学校は地元から少し離れた街にあるから友だちたちはこの古い町の事を知らないのだ。人間離れしたこの力を受け入れて貰えるか不安で怖いけど。

「これ動かしてちょうだい」とお母さんが茶箪笥を指して言う。わたしはすかさず母にお願いした。わたしが茶箪笥を持ち上げると部屋の縁にぶつけないよう周りに気をつけながら庭に出す。パシャパシャっと連続音がした、カメラのシャッター音だ。この様子を携帯のカメラで撮ってもらったのだ。
「こんなところ撮ってどうする気なのよ」
「我が家の大掃除ってSNSに上げる」
「ちょっと、それは絶対に駄目だからね。この事を外に言いふらしちゃいけないのよ」
と案の定叱られたが、後でこっそりアップしようと思う。この写真はきっと誰も本気にしたりしないだろう。友だちはウケてくれるはずだ、面白コラージュ写真として。
この力の事は公に口外するのは止められている。もちろん友だちにも話せない、だからか孤独のスーパーヒーローの気持ちがわかる気がした。誰にも正体を明かさず力を使って人々を助ける姿も逆にその力を恐れられる様も、そんな超人が身近にいてそれがわたしだったら親友たちはどう思ってくれるのだろう。

意外なことだが後でこの大掃除の写真はネット上の奇妙な写真ということで大反響した、しかも写真がトリックか怪力が本当なのか、プチ論争にまで発展した。

一時ネット上のどこにでも写真が見られる状態にまでなったが、わたしの顔は反対側を向いていたので顔はわからなかったのが幸いだった。顔や名前や家を教えてくれ、という連絡が何件かあったがどれも勿論お断りした。

友だちもわたしの秘密は写真の物凄い加工技術の得意なことになった。やっぱりわたしは正体を言い表せないスーパーヒーローのままだ。



選外供養3(少し加筆修正した誤字あった・・・)