ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

犬と夜のまち

ドッグはその市内で喫茶店を営んでいる。図体のでかいもの静かな男だが、彼の淹れるコーヒーは絶品だという声も少なくない。もっとも彼の店は個人店であるからそう言うのは皆、店の常連である。
ドッグの店はメイン通りから川で隔たれた通称旧道の一角にあった。この道は昼にもかかわらず人通りの少ない場所だった。道に面した窓からは内側からブラインドが天井から半分ほどまでで止まっている為一見、営業しているのかわからないが、上は住居になっているアパートの1階にあり、カウンター6席、テーブルと椅子の2人席が二つほどの小さな店だった。いつも常連が1人2人は座っていた。中に入ると天井から橙の灯りが控えめに室内を照らしている。ドッグの立つカウンターの後ろには明かりのつくショーケースのような中の見える正方形の戸棚が4つあって、ドッグが集めてきた様々なフィギュアや置物のコレクションを見ることができた。
この日の常連は2人。
月火金と毎週3日来るビギンズと週2日だけ訪れない日があるシェリルの二人。コーヒーを飲みながらカウンター越しにドッグのコレクションを眺めるのが好きだった。
「あら?あのフィギュア、昔のものでしょう?ほんとよく集めてくるわねぇ」感嘆したようにビギンズは言う。
「ドッグのコレクター魂をなめちゃいけないよ、なんたって集める男なんだから」シェリルが答える。
ドッグの食器を洗う音がカチャと響く。
「あたし、前にテレビで見たことあるわ。ああいうフィギュアってものすごい高値なんですって。」
「プレミアがつくからね。」シェリルはふん、と口角を上げた、続けて
「ああいうのは特にその流通量の少なさだ、希少さゆえに高値を出してでも買いたい人がいるんだよ」と言った。
「オークションみたいね」ビギンズがコーヒーを啜る。
目の前でやりとりをする二人をドッグは俯きながら聞いた。手は豆の絞りがらをいじっている。
「あのフィギュアだといくらぐらいかな、おそらく二桁行くのかな」ビギンズが目を付けたフィギュアを指差すとシェリルは煙草を取り出した、パチっと音がして紫煙が上がった。
「そういうのが沢山飾ってあるってことは凄集めるの苦労するわね、マスター野暮なこと聞くけどこの中で一番高かかったのどれ」と聞いた。
「・・・金はかかってない、みんな同じくらいだ」ドッグは数秒の後答えた。ひどくつまらない答えにように聞こえたが、
「ハハッ、コレクターはみんなそう言うんだよ」とシェリルはほんと野暮な質問だというようにビギンズに言い聞かせた。
「あらマスターやっぱり聞いちゃいけなかったのね、ごめんなさい」
「いや、構わないよ」とドッグは応えた。
シェリルはあーあというように笑った顔をして二人を見ていた。
午後4時過ぎ、常連二人はじゃあそろそろと帰っていった。かれこれ3時間くらい集まっていた。ドッグの店は5時までだなのだが、この常連の二人は閉店の間近までいることも多い。
ビギンズやシェリルというのはドッグの付けた渾名であるが面に出ることはない。
彼の中で付けたものである、ドッグというのも自分用のニックネームだった。
ドッグには二つの顔があった。一つは小さな喫茶店の店主、もう一つの顔は彼は夜になると犬になり街を駆け回るのだった。
ドッグはいつも通り5時で店を閉めると彼の家に帰る。店の上は彼の住居ということになってはいるが、本当の住処ではない。
彼はまず身を洗うため着ていた服を全て脱ぎ捨てた。シャワーから出ると裸のまま窓辺の床に仰向けになった。身体がすっと冷たくなる。
日が暮れる。少し開かれたブラインドから洩れる日差しが室内を朧気な形に作り替える。
ドッグはその様子を感じながらいつもいつの間にか眠っているのだった。
身体が熱い、ドッグが目を覚ますと部屋は暗くなっていた。
隣向かいにある街灯がほんのりと部屋を掠める。ドッグは起きあがって鼻をすんと鳴らし夜の匂いを確かめると、玄関の前までゆっくりと歩き頭でドアを押して外に出て行った。
夜の空気を鼻先で感じる。ドッグは暗い空に向かって鳴いた。狼の遠吠えのようにも聞こえる声は町に響いただろうか、橙色の街灯だけが道を建物を煌々と照らす。誰も歩いていない。
この通りはいつもそんな風に静かな場所だった。ドッグは川の向こう、メイン通りを目指していつものように走りだした。
パタパタと足音が響いていた。ドッグの他には動いているものなどないように静かなのだ。
ドッグが走っているとゴミの匂いがした。目の前はゴミが散乱していた。ドッグは走るのを止め障害物を避けるべくそろそろと歩くと右の方に小さい動くものが見えた。路面に横たわる水色の大きなゴミ箱の裏に何かいる。ドッグは匂いを嗅いでみるとそれは燻したようなネズミのような匂いだった。じっと見ているとそれは眼鏡のようなものをかけたネズミだった。シェリルだ、とドッグは咄嗟に思った。すると向こうも小さくすまん、と頭を下げたように思った。ドッグも応えて首を下げた。
ネズミのシェリルは振り返ると道に散らばったゴミの中から小さなチョコレートの粒を見つけてはちりちりと食べていた。
ドッグはゴミの中を抜けると再び走りだした。
旧道とメイン通りを隔てる川の橋までやってきた。この橋を渡らずして新町には行けないのだ、川で町は平行に別れている。大きな川なので橋もそこそこに長いのだった。
川の向こうは明るかった。新しい町は夜も寝ずの町でいつも昼も夜も関係なく人が行き交っていた。町の光がすっかり黒くなった川の半分向こう側に反射していた。
ドッグは一直線に走って橋を渡って行く。
橋の真ん中まで来た頃、派手な化粧と格好をした小太りな女がドッグの前をこちらに向かって歩いていた。彼女は毛の長いような猫を抱きかかえながら時々足を止めてはゆっくりと歩いてきた。
ドッグはそのつんとする香水と猫の匂いに覚えがあった、ビギンズの匂いだ。
ビギンズがその女なのか猫なのかはドッグにはわからなかった。なにせ女の化粧はとても濃く町の光が逆光になってよく見えない、猫も毛の丸く長い形なのは判別できたがくるまっていて顔は見えなかった。ただ匂いがビギンズそのものの匂いだった。
ドッグはすれ違いざまに「イヌはイヤなのよ」とポツりと呟かれた。
振り返ると女と猫の残り香が漂っていたが、彼女たちの姿はどんどん暗い中へ消えていった。心なしかすれ違う前より足が速いように思えた。
ドッグは女と猫の見送りを終えると前を向いて明るい町の方へと駆けていった。
しかし今日は出会う人が多いとドッグは思った。
橋を渡り終えたドッグは臭いを嗅ぐ。メイン通りは明るかった。人通りもあるが、ドッグの事は咎めない。ドッグは野犬のような図体をしているのに人々は誰もドッグを追い返そうとはしなかった。人々は皆上を向いているように思えた。下など見ないのかもしれない。ビルの上に掲げられた飲み屋の看板や鮮やかな電子掲示板、それに夢中になっている。実はスマホを向けられたこともなかった。彼らにはドッグが見えていないのかも知れなかった。通りの光は色とりどり煌びやかに道を照らしていた。ドッグはとぼとぼ歩きながら目的地を目指す。
明るい町の向こう側は自然があった。町の公園にもなっている小さな山からは新市街と旧市街を見下ろせた。
ドッグの目当ては町の外れの方にあるその店だった。その店はメイン通りの中でも静かな場所にあって光も幾分か落ち着いていた。
上は3階建てのアパートになっているその店のドアを押すとカランと軽やかな鈴の音が鳴った。いつものくすんだ木のような匂いがした。
中は狭く薄暗いが、落ち着いた空間だった。高級なバーのようだったが人の姿はない。壁に立った背の高い茶色のシックな棚が店内を圧迫していた。中はアンティークの人形やフィギュア、おもちゃが所狭しと無造作に並んでいた。
真正面にカウンターがあった。5人くらいなら座れるだろうか。
「やあ、おかえり。待ってたよ」カウンターから声がした。白い髭と長い白髪の紳士がドッグを見ていった。
紳士はカウンターから杖をついて出てきた。右足の悪い老人だった。
「お陰でだいぶ減ってきたよ」と紳士は言った。「さあ好きなのを持っていくといい」
紳士はドッグを促した。ドッグはこの店から人形やフィギュアを貰っていたのだった。
「もう本当に終わるんだ」口癖のようにぼそりと呟かれた。
「君が大事にしてくれてるんだろう、有り難いことだ」
ドッグは紳士を見た。彼の目は棚に向けられていたが、優しい声色だった。
ドッグはどの人形を持っていこうかと思った、
今日で本当に最後になるかもしれない。
ドッグはすんと匂いを嗅ぐと、爽やかな豆の匂いがした。
匂いの方に向かうと、入り口近くの棚の中、一番下の方に犬のフィギュアがあった。
ドッグはそれを持っていくことに決めた。
紳士はドッグの要求をわかっていたように「なるほど、君によく似ている」と言った。
「持っていきなさい」と声を掛けられドッグは犬のフィギュアを口にくわえた。
紳士はドッグの背中を見て「さようなら」と言った。
ドッグは紳士の方に向き直って一瞥すると、紳士を見た。彼の目は遠い所を見ているようだったが、白く光り輝いていた、それにはどこか新しい期待に満ちたような清々しさがあった。
ドッグは店を出ようとドアを頭で開ける。
「元気で、また」と紳士の声がした。
鈴の音がドッグの返事の変わりに鳴った。

新町はまだ明るかった。ドッグは帰路を行く。
人々は透明な影のように見えた。明るいメイン通りの中を歩いていると「あの犬、犬の置物を咥えているよ」と誰かが言った。ドッグは影のような人々に見つけられた、人が集まって人々の目線は下にいるドッグに向けられた。
ドッグは震えた。早く町を出ようとフィギュアを落とさないよう強く噛んで走った。

再び橋のもとまでやってきた、もうここまで走って来たら人々は追ってもこなかった。
ドッグは帰路を目指して走る。
橋の真ん中でまたあの香水の匂いがした、またビギンズだろうか、旧市街まで戻ってきた。行くときにあったシェリルの散らかしたゴミは綺麗になくなっていた。シェリルの気配ももうない。
ドッグは自分の店に帰ってきた。階段を上がっていって部屋に入った。咥えていた犬のフィギュアを床に置くと長い旅から帰ってきたかのようにドッグは横になって眠った。

翌日、彼の店にはいつも通り常連が来て、ドッグはコーヒーを淹れる。カウンターの彼の立つ後ろの棚には犬のフィギュアが飾られていた。
シェリルは「とても素敵な犬のフィギュアだね」と言うと「どうも」ドッグは静かに言った。


選外1 
すみません原文あったので前のは消しました。
こちらの原文の方を上げときます。