ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

色々な人のblogを見て癒やされる事もあったり新しい発見とか面白いものの紹介とか知的な旅だとかそういうインスピレーションみたいのもあって見てたけど、最近はめっきりそういうのを見る事=自発的に行動するのが億劫になってる。購読リストを開くのも億劫で、何となくこうして自分だけに一方的でとりとめのない事を書くまではいいけど、そこから先の行動まで進めなくなっている。何だか一方的というかただ自分が自分が自分がというでしゃばっていく気持ちが強くなってるのかもしれない。だけどそこに何も形がないから空回りだけして不満というかフラストレーションみたいなのが溜まっていく。

今の自分がどういうコミュニケーションというか繋がりを求めているのか自分でもよくわからない。勝手だとは思うが楽しいと思えていた事も慣れてくれば楽しいとは思えなくなってくるというか、その先のわくわくした気がなくなってきていると感じてきた。なんかものにハマった時とかって夢中になるというかああだったらこうかもしれないとか、こうだったらこうなってほしいとか願望とか邪念が生まれたりするけど、そういうのも慣れてくるというか自分の中で答えというかパターンが決まってきてしまうと新鮮さとかそういう純粋な取り込み方とかをしなくなる。それは怠慢と言うのかもしれないけど、その怠慢に陥ってる。

ただ以前の自分はああじゃないんじゃないか、いや実は間違ってるかもしれない、でも違うと迷いの中を行ったりきたりしててその自分の中の確信みたいなのが出てくるのは良い事なのではとも思うけど、それって頑なに自分の考えに固執してしまうという意の表れでもあって、年を取ってくると頭が固くなる、頑固になってくるとかいうけどまさにそういう事なのかもしれないと思うとじゃあこれは良い事ではないのではという。

誰の意見も聞き入れたくない、そういう態度に自分もなってきたのかもしれない。常に学びの姿勢は大事だと思うけれど、それは理想論というか口だけで自分がその学びを全く取り入れてない当人だったりする。

そういう見栄っ張りなだけのプライドとか変に伸びた自尊心だとかが現れ始めてきたのか、年齢を重ねてゆく上で出てくる私の老化現象なのかもしれない。何の功績もないけど認められたいという、自分のそういう部分。