ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

導くやつ

よく狂ったカルトキャラ的なのの典型例で「我々の楽園を創る」とかあるけど案外わからなくはないよなって話。

救済される人々が誰なのかってそれを望んでない人たち(だいたい主人公サイド)にまで強要するのが問題というか彼らの悪役たるストーリー上の役割であって、真に救済を望むものがその人たちの提唱する楽園を支持するのは理想の完成形なんじゃないかって。ある意味それが相応しいと思えるまであるように思ってくるんだなあ・・・

こういう選ばれたものたちだけの理想郷みたいな概念嫌いではない。いや確か古くからある世界宗教もこういった思想を持っている事は少なくはないはず。万人に対して全てを救済するのってほぼ不可能に近いよなって思ったら、自分の好きな人たちとか庇護したいと思う人たちだけを選り好みして楽園へと導かんとする悪役の姿も究極の理想主義の塊みたいで。だいたい主人公サイドはそんなの間違ってるよとか結局エゴイズムじゃないかとか、そもそも理想郷っていうけど所詮はディストピアみたいな世紀末で自分たちの私利私欲の為に救済とかって人々をこき使うやべー所なんだろ?っていう”ただし”がある事が多い(これは主人公サイドの善を象徴する為ではあるけど)

そのでも本当に困ってる人たちと実はそれがわからないで(理解にズレがある)いる主人公たちの善意(正)の押し付け、いやどちらが正しいのかって善悪二元論とかでなく・・・答えのようなものが複数あるという状態でじゃあ主人公と悪役の対峙って・・・?

でもこれちょっと言葉うまく言えないけれど悪役にも正義があるっていう事ではなくてただお互いの正と正のぶつかり合いという事でもなく、認識の違いで正が悪に捉えられる(あるいは逆)ということでもなく、どれが正しいとかという決着をつけるという事でもなくて、なんていうのか分かり合えないものたちが対峙というか邂逅してしまった時のずっと平行線を眺めているような感じというのか。

物語とするなら締まりがないのはそうだし主人公とかサイドをつけてしまえば結局そのどちらかからの観点じゃないと意味不明になるのだけれども。

別星にコロニーを作りに故郷の星を捨て去っていく集団とか(特に故郷の星が酷い状態とかでもなく)傷付いたものたちの隠れ里とか隠者とか結局そういうものとしての姿に表れていくのが分かり易いのかなんなのか。

あれなんかこういう物語エ○ゲーにありそうな気がしてきた・・・

 

オリキャラ考えるの楽しくもあるけど辛くもあるという謎の矛盾。整合性とか考えずに適当に詰め込みたい属性どん!と入れてる間は楽しいけどちゃんとした話とか物語にしようとすると辛かったりする。結局趣味としてのキャラだけ考えて終わりなんだけども、変に自分の理想と照らし合わせてしまうと(脳内で中の人勝手にキャスティングしたり)背徳的罪悪感と高揚感とで身体が保たねえな・・・となってる。じゃあそこ考えずに決めてけばとすると本末転倒っぽくなって、これは「自分が考えた最強のキャスティング」なのだ!という根底が覆される・・・。今はまだその時ではないのか、たぶん肩入れしすぎなのがよくないなあと思ってる。(えっ、オリキャラに!?肩入れ?)

脳内最強キャスティングは絶対に有り得ない!の詰め合わせなので本当に自分だけで楽しむ用なのだけども・・・。