ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

短文③

「問答未定」

犬も歩けば棒にあたるという言葉にある様に、わたくしも外を歩けばそういう輩に目をつけられる。ですので、わたくしは外に出るなどということは致しません。

と御方はいうので、はぁ・・・と気の抜けた声が出た。

貴女にはわからずまい、わたくしにはどうも他人より不運な目に合う才に長けているらしい。

御方の顔は大真面目だった。
そんなことどんな人にも多かれ少なかれありますまい。などとは言えなかった。

貴女はわたくしがどのような不運に合うのか疑っておりますな?よい機会だ。よろしい、教えてしんぜよう。
と御方がいうのでこれはマズいと思いながら長話を嫌い席を外そうと思ったのに、
これ、ここにお茶とお菓子を持ってくるからと御方自らがお茶を淹れてくれるというのでは席を外すことはますます不便になった。

御方がお茶と茶菓子を持ったおぼんを持ってくる。安菓子ではあるが・・・と、一口大の最中、羊羹、落雁。急須から注がれた煎茶の香りがつんと鼻をつく。いよいよ茶室のような雰囲気になった。

外に出ることは億劫なものだから、せめて内の中では心地の良い場にしたいものでな。
さて、わたくしが外に出たくないという話だが・・・。
ああ、お菓子もお茶も沢山あるので食べて飲みながら聞いてくれて構わない。
さあ、本題に入ろう。いつのことだったか・・・いつからだったか・・・そう、思えばわたくしはいつ頃からか外に出ると不運や不吉なことに出くわすことが人より多いと感じることになった。
わたくしはそれを輩と呼んでいる。
例えば、わたくしが道を歩いているとき前方に歩いている男衆がわたくしの方を振り返りながら仲間内でなにかひそひそと声を掛け合い大きな声で嗤うのだ。

うーん、それは考えすぎではないだろうか、と言いたいのをこらえてお茶を啜る。

ある時には向かいから歩いてきた男に邪魔だと言われたこともあった。道は決して狭い道ではなかったのにわたくしはその男と目が合ったのだ。すれ違い様にそう言われた。

ああ、そういうことわりとよくありますよね、と言いたかったが言えないので最中を口に運ぶ。中に小さな栗が入っていた、得した気分になる最中だ。

わたくしはある時その場にいただけでわたくしのせいになることがあった。花壇の花をわたくしの前で盗んでいったであろう女がいたのだ。花壇は花が無造作に荒らされ散っていたのだが、それを無残と思い見ていたわたくしが後からやってきて事情も知らぬ女にわたくしがその花壇を荒らしたのだと濡れ衣を着せられたのだ。
今回は見逃してやるが次にやったら上に届けると言われた。
わたくしの目からは涙が出た。わたくしが泣いたのは無造作に荒らされた花壇のためと言い聞かせたが、本当は濡れ衣を着せられたわたくしのために泣いたのだ。
なぜわたくしがこんな目に遭ってしまうのか、と。

そんなの荒らされた花壇なんて見てないさっさとそこから立ち去れば良かったのに、と思ったがまあ、言わない方がよいだろう。

心の平穏が乱される脅威がわたくしの力だけではどうしようのないことが、あちらからわたくしに向かってやってくるのです。しかしわたくしに起こったことを皆に話しても誰にも信じてもらえずわたくしは狂人扱いを受けるのです。ですからわたくしはあまりこのようなことを他人には話したくはないのです。

では、なぜ?私に話す気になったのですか?とだけ質問してみた。
それはわたくしの気まぐれ、かもしれませぬ。貴女は賢い人だとわたくしがただ勝手にそう思ったからかもしれませぬ。
人智では不可能な不運の輩に目を付けられ、追いかけ回されるその一様が存在することを貴女ならば理解できると思ったからにすぎません。

そうですか、と素っ気なく答えて茶菓子を頂く。羊羹は胡麻の味がした。甘すぎず胡麻の風味が、餡の味が上品な羊羹だった。美味しい。

抗えぬ脅威といいますか、わたくしは出来るなら常に善良でいたいとそう願っているのに、外はわたくしのそれを嘲笑うかのように阻んでゆきます、そうしてわたくしにも悪心が湧いてくる。なぜわたくしだけ、わたくしの他に人はたくさんいるのに、なぜわたくしだけが輩に目を付けられるのか。”だけ”が当たりなら喜ばしいことでしょうね。

そうは言うけど、と本当に不運だと思っているならこんなに美味しい茶菓子とお茶を調達することだって出来ないじゃないの、と思って内の事だからそれは屁理屈か、と訂正する。

ですから外はわたくしにとって理不尽であり脅威でしかない。外に出れば輩の目がわたくしを追い、捕らえ付けまとうでしょう。だから外には出たくないのです。

と聞いて恐らく御方は他人よりも幾らかは純粋で繊細なのでないかとは思った。あとその神秘主義思想のせいで、不運を自ら連鎖させ考えるせいで小さな不運をより大きい不幸に作り変えてしまっているんじゃないかと思った。
輩が目をつけるのは自分よりも弱そうなと見下したときだ。あるいは大抵は間の悪いとき。たぶん御方は間が悪いのだろう、それに至っては御方も人の中に入って紛らわせるしかない。大勢の中に入れば御方もその大勢の一つになる。いや、しかしこれは些か乱暴で楽観的すぎる考えだろうか。

外に出ればわたくしと一緒にいる人も輩に目をつけられてしまうのです。
あるレストランに行ったとき、そのときはわたくしは珍しく幸運でした。わたくしの分はきちんと運ばれてきたのです。しかし、知人の料理は運延々とばれてこなかったことがありました。知人が支給係に聞いてみるとそのような注文は受けていないとのことで、つっけ返されてしまいました。
改めて注文をしなおして事は終わりましたが、わたくしには何ともいたたまれない気になりました。わたくしたちは確実に最初に注文をしていてわたくしたちに非は何もないのに関わらず、わたくしたちの不備のせいで、わたくしたちに不運が起こったと言われたようなものです。

それからこんなこともありました、17時以降は子どもの立ち入り禁止がなされる路に赴いたときです、わたくしは当然成年なのでそこを自由に目的は何であれ通ることが出来るのでしたが、わたくしはそこの見張りに未成年と間違われ、立ち入りを禁ぜられるばかりか今後、もしまた同じようなことをすれば上に申すという忠告まで受けたのです。
わたくしが身分を証明するものを持ち歩いてはいないことが原因とは言えわたくしの意思は成人としてありそこに不自由があるとは思いもよらなかったのです。
わたくしはその場所を背に歩いていますと、化粧をし綺麗に着飾っておりました年端の若い少女が向かっていきました。
おそらくわたくしが見たところ未成年であろうと思われました。
彼女も追い返されるだろうと思ってしばらくわたくしはそこで立ち止まっておりましたが、彼女が帰ってくることはございませんでした。

何とも不平があると思いました。
あの見張りは役立たずだと思わざるを得ませんでした。思い出せば出すほど輩への外へのどうしようのない気のやり場を我が身に持て余すばかりでは、身も保ちません。

・・・いやあ、でも御方。その彼女の方は衛兵に突き出されたかもしれませんよ、と御方に口を挟む。その彼女が子どもであるという保証はない、御方の個人的主観であって実際その少女は成人した女性であるかもしれないのだが、そんなことは御方に直接言う気はない。
しかし実際に御方の言うとおり見張りの目が節穴で、未成年の少女をそのまま通行させた可能性もないわけではない。

その後者のケースは確かに世の道理的に俄かに信じがたいものだが一方で目立たぬが存在する事実でもあり、御方はそういった連鎖の中に自分はとらわれているのだと自認して、改めて私に話をしてくれているのだ。