ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

おぼれるイヌよ

・・・こんな事を書くのもどうかなとは思うのだけど「素晴らしいな」と思う事を言う人「凄いな」「いいなあ」「格好いいな」と思う人、そういう人たちの経歴を見るとやっぱり”凄い”人が多い。

当たり前といえば当たり前なんだけど、なんていうか留学されていたり、有名な大学や大学院を卒業されてたりと根本から(中からは少し下であると思ってる)庶民である私とは違うのだなと思う。それを前にも書いた気がするのだけど、天性の才能だとか、持ってもいい人たちだとか持てる権利を持ってる人たち・・・とか自分の感覚で思っていたけど・・・。

私から見れば凄くその人たちは充実しているように見えるけどそれでもその人にとって自分たちの生活は普通でありまだまだ上はあると思っていたりする・・・。それは確かに当たり前なのだ・・・。


だけど一方、私がひねくれ者のだけかもしれないけどそういう素晴らしいやいいなも遠く思えてしまう時がある。結局すごく良い状態、良い場所にいるからそう言えるのでしょう?と嫌な考えが出てくる時もある。


これらは特定の誰かとかブログについてとかではなく、広いインターネットやその先々、メディア、その他全てに及ぶような感覚であって、虚無感というような「ああ・・・やっぱり、そうだよなあ」というような手の届かなさを改めて身に思い知らされるような感情というか・・・。


例えば作家になりたいとして、何らかの文学賞だって、受賞されたその方の経歴を見れば名だたる大学や有名なところを卒業されてたりとするわけで・・・。(昔の作家は高学歴どころではないが)
やっぱり何らかの凄いこと、良いものを得るにはそれ相応の資格を持っていないといけない、その資格があることが最低条件のような気がしてならなくて・・・。
これはあくまで仮の例だけど私がそういうのになりたいと思ったところでまず条件が揃ってないし資格がないのだから、書類の時点ではねられるようなものだ・・・。

そういう条件はないとは思いつつも結局優れた文章を書ける人の経歴を見れば凄い学校を出てたりするので・・・凄い文章を書くには最低でも○○ぐらいの学校を卒業していること、みたいな見えない条文でもあるんじゃないかな・・・って思ってしまうくらいには凄い人ばかりだなと荒んで思ってしまう時はある。

文章と学歴は必ず比例するわけではないと思うけど何らかしら賞を貰える人やなれる人はプロフィールを見ると有名な学校名が書いてあったりするのが、結局現実はこういうことなんだろうな・・・と思うことはある。
もちろんその為に御本人が模索や試行錯誤、切磋琢磨を重ねられたという事もあるのだろうけれど・・・

荒んだ時に見てしまうと勉強ができる人が更に勉強されているような風に見えてそういう方がそこに入られるのなら、じゃあ私には到底無理だろうなと思う。結局はそれ相応のものを持ってないと、それは夢をせられてるだけで、最初からそれは無理なんだと決まっているようなものじゃないか、と思ってしまう。


これは私が努力が足りないからとかでどうにかなるものでもない・・・と思う。逃げ、みたいなこと言うけれど・・・。その資格がそもそもない側の人であるというのかな・・・。


あんまりこういう内容どうなのかなと思いつつ
ごめんなさい、やっぱり家の状態とかロクデナシの父のどうしようもなさすぎる様子とかそれを解決にもどうするかにも持っていけない現状や変わりも進展もない日々にちょっと荒んでしまった。

後はちょっと気になった、よく見るなと思っていたタイトルの本の著作者インタビューを見てみたら、ライトノベル系なのかなと思ってたら全然違っていてシビアでかつ社会性が高い内容で、かつ学歴も名のある大学を卒業されてたりその身内の方々も凄い経歴をお持ちだったりとても立派な御一家だったというのが見れて、勝手に遠くなってしまった。
ああ・・・凄い人というのはもともと凄いからそうなれるんだという諦観・・・。こちらの方が今日の空虚感を生んだに近いかもしれないです・・・。


でもこうやって書いていくと私は(私の家の周りの人も含めて)こうありたいなら~でなければならない、こうでならないとダメだとかそういう形式の枠にとらわれているというようにも思うし固定観念、「~ならばこうじゃなくちゃいけないんだ」というような考えに囚われていてちょっと頭が固いような気もしてくる。
でもまあそれも世には生き残っていて、じゃあ逆にその順序を正しく踏めばその理想になれるということも言えてしまうけれど・・・。

こういうところは人生経験(社会経験)の豊富な体験の有無だろうか・・・しかし周りにいきなり空を飛んだアヒルがいるわけでもないし鳶の鷹も見たわけでもない・・・。世の条理はある程度決まってしまっているようにも見えてしまう・・・。
首都圏とかに居住してるわけでもないし、すぐ行ける距離でもないし手段も限られるわけで地の利でもそういうものは持ってないところからのスタートで・・・。

学生のころはいくらか無謀とも言える考えも希望もあったけど・・・。
年をとればとるほど実現は難しくなっていく、機会がなくなっていくもので・・・これはただ私個人の問題だけなのかもしれないけどもどんどん先がすぼんでいくのが目に見えてくる・・・。


ただ、でもそういう本当に届かないなと思う物事や人を見るのは嫌ではないし、むしろ本当にそんな世界があるのかと感心できるし純粋に素敵で凄い素晴らしいと思うことだってある。
おこがましいがこれからも素敵でいてほしいな、とか逆に私も・・・と希望が持てるようなそう思える人や物事だってある・・・。


だから何なのだろうな、やっぱりね・・・。という気持ちともしかして・・・?という気持ち。
この二つはどっちも反対方向を向いているようででも根はある意味一つなようにも思えるし。
でもその間を行き来するのが人間らしいと言えばそうだったりするのだろうか?その上下幅がありすぎたとしたらただそれしんどいだけだけど・・・。


という雑記。