ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

狭間「沢の谷にて」

狭間「沢の谷にて」

小川で皆と遊んでいるとき、あにちゃんたちがあっち!なんかある!と言うので私とヒカルちゃんはあにちゃんが呼ぶ方に向かっていった。じゃぶじゃぶと川の中を歩いて進んでいく、流れは相変わらず緩やかで、底も浅いままだったが、だんだん水の温度が冷たくなっていくように感じた。思わずさっきよりつめたいね。と言うとヒカルちゃんも本当に冷たいね、という。木々の茂った森の中にいるからかもしれない、けど暑い日だったから、その冷たさもちょうど気持ち良くて。
あにちゃんたちは皆あれ!あっこっちも。なんて言いながら下を向いて川の中を見つめていた。魚でもいるのかなと思って私たちも川の中を見る、川底は濁りもなく綺麗に透き通って見えた。水は綺麗なのだ。じっと魚がいるのか見ていると川の底がキラッと光った。あっ!魚!?と思って少し前屈みになりながら顔を近づけてみる。魚はいなかった。けど、そこに透き通ったビー玉のような丸い石があった。私はそれを無意識的に拾い上げる。これが反射して光って見えたのかな?これって、ビー玉?ヒカルちゃんはわかんない、なんだろうね。

あ、そっち行った!なんて声がしてあにちゃんたちは小さな蟹やエビ、魚を見つけてるみたいで、手には小さな渡り蟹みたいなの持ってた。指をちょっと挟まれたみたいでイテェ!なんて言って。てっきり私はあにちゃんたちもこのビー玉を見てたんじゃないかと思ったけど違った。私は拾ったビー玉石をポケットに入れていた。思い出のお土産にでもなるかも知れないと思って。
ヒカルちゃんがあ、そこ、魚!と言って見ると私の足を横切って魚が泳いでいった。ヤマメじゃないか、アユじゃないかと興奮して言い合うあにちゃんたちに、ヒカルちゃんと私も魚や蟹を眺めるのに夢中になった。


私は1年の間、ある山あいの町に小学校の臨時教員として赴任した。町といってもこの地域は併合されて町となった旧村の集落の場所でありその小学校は中学校とが合わさって全校生徒が10人にも満たない、限界の町の学校だった。現学生は一番下が小学4年生の二人、上は中学3年生が1人、間に一学年一人か二人。来年でこの学校自体は廃校になり下の町の学校に統合されるという。
期限つきではあるが社宅も完備されていて至れり尽くせりの状態。前の小学校を辞めた後ですぐ次の先が見つかるのだろうかと思っていた矢先に大学時代の先輩からここを紹介された。
自然が豊かで、都会での生活にすっかり疲弊していた私にはとても魅力的だった。

「きりーつ、れい」
「おはようございます!」
今日の日直は4年生の三島さんだ。この日の教室内に生徒は3人しかいない。6年生の菅原さんは風邪で欠席だった。小学生は全員で4人。学年別に合わせたカリキュラムをとることは出来ないので授業は一番下の学年に合わせて、高学年で習う箇所は放課後授業や宿題という形式にしている。教師の負担が大きいといっても6年生、5年生は生徒がそれぞれ1人でほぼマンツーマン、家庭教師のようなものだったので私はそれほど負担には感じなかった。都会の学校での忙しなさに比べれば全然、むしろ生徒一人一人にちゃんと目を向けられるので心地良いくらいである。
「おはようございます。今日も1日頑張りましょう!じゃあ今日の授業は・・・」──

季節は夏を迎えたばかりであるが、山あいの集落は涼しく過ごしやすい。「もう少ししたら夏休みですねえ」と奥尻先生が言う。先生はここの校長先生でありながら中学生向けに勉強も教えている。職員室は小学生も中学生も担当は関係なく一緒だった。
「そうねえ、もうそんな季節なのねえ、早いわねえ」と言うのはベテランの先生である河内先生だ。河内先生は私が来る前に小学生を教えていた。今は主に総務を行っていて教頭先生のポジションにある。先輩は河内先生と馴染みがあって私にここを紹介してくれたのだった。
「山岸先生、どうだい?調子は?」
「ええ、ずいぶんと良いです。夏でも涼しくて空気も新鮮でいい場所ですね」
「そう言ってくれると嬉しいねえ、といってボクも赴任した最初のときに同じ事を思ったよ」
奥尻先生もですか?」
奥尻先生はうんうんと頷く。
「ここは良い意味での田舎だよね。透き通った綺麗な小川に、清々しい青空、緑の空気!癒やされるよねえ・・・」
「あの人、渓流釣りが趣味なのよ」
河内先生が私に耳打ちするように言う。確かにそう言われれば奥尻先生は釣りのような静かなアウトドアが好きそうだった。
「先生もたまにはアウトドアなんて良いですよ。童心に帰って川遊びするのも良いものですから」
「川遊び・・・ですか?」
「といわれても、ねえ・・・。困るわよねえ?」と河内先生は笑いながら言う。
「・・・そうですね、夏休みになると小さい頃はよく行ってました。親戚や友達の皆といっしょに・・・」
川遊び・・・か、と思って懐かしく思い出す。そういえば昔もこういう水の透き通った小川だった。親戚のあにちゃんたちや帰省した先の友達と一緒に、夏休みの晴れた日には小川でよく遊んでいたのだ。
「生徒たちと川で生き物観察授業っていうのもいいものですよ。もうすぐ夏休みになるのだし課外授業っていうこともですね、いいものです」
河内先生もそういうのはいい事ね、と賛同している。
「身近に自然や生き物に触れる時間を持てるのはここの醍醐味なのかもしれないわね」
そう言われてみれば今の子たちは自然というものに身近に触れにくくなっているのかもしれない、都会にいれば尚更だ。
「・・・それにここの川は他の場所とはちょっと違うんですよ・・・山岸先生」
とおどろおどろしく言われてハッとする。
「えっ・・・?」
「ちょうど今年がそうなのかもしれないのよね」と河内先生も言うから何が何だかわからない。

ガラス玉のような透き通った綺麗な石が何年かに一度この地域の名称である「沢の谷」の小川で見られるという。小川を守る龍神さまが片目を落とされたという伝承に因んで「龍の目」と呼ばれる。見つけたら幸運が訪れるが、持ち帰ったりしたら罰が当たるという。
透き通った石は水晶のようにキラキラと光をうけて輝いていた。あの時の石は今もこうして私の目の前にあった。ただ川底で拾っただけのものなのにポケットに入れていたのをすっかり忘れて持ち帰って気付けば思い出の品として20年近く経つというのにずっと捨てられないでいた。
私が石を拾ったのは当然ここの小川ではないから「龍の目」の伝承も知らない。けれど川尻先生に写真を見せて貰ったらそっくりだったのだ、この石と。
「(龍の目・・・か、たしかに似てるなあ・・・)」
私はこの石を眺めたくなることが事あるごとにあった。第一志望の高校に落ちたり大学受験に合格したとき、悪い事良いことも併せて何かあった時にはこの石を眺めた。御守りのような現担ぎのような願いを石に託していたのかもしれない。
都会の学校で同僚から嫌がらせを受けたときも、生徒が言うこと聞いてくれなくなって授業が出来なくなっても、教師という職をやめようと思ったときも、私はこの石を見て何とか自分を取り留めようとしていたのだ。
「(あの頃の無邪気で楽しかった記憶が詰まって・・・)」

──「冷たい!」と言ってきゃっきゃと喜ぶのは学年下の二人。清流はなだらかで足元に当たる水は冷たい。今日は天気も良かったから尚更自然を心地よく感じた。恐る恐る足を入れるのは5年生の斉藤さん、水の冷たさに驚いていて、足を引っ込める。6年生の菅原さんは教室の時には面倒くさそうにしてたけど川に入ったら生き物を探そうと案外乗り気になっていた。
今日の午後の授業は「川遊び」だ。正確には生き物を観察しよう、なのだけど。
「先生!」と呼ぶ声がした。見ると斉藤さんと三島さん吉田さんの3人がじっと手のひらを見つめている。どれどれ?と近付いていくと手のひらには白く光る透明なガラス玉があった。
「あっ・・・それ」と私は思わず呟いて、その石は私がずっと持ってきたあの石と同じように見えた。すると菅原さんが後ろからやってきて「それ龍の目じゃん?」と言う。「あーこれが目なんだー!?」
「龍の目って?」と私は改めて子どもたちに聞いてみる。
「昔からお婆ちゃんとかに言われてて、この辺りの綺麗な川にしかないキラキラした石なんだけど見つけたら良いことある、って」
「でも持ち帰ったらダメなんだよねー」
その言葉に内心ドキッとする。
「でも間違って持ってっても返しにいけばいいんだよ」という三島さん。
「だから返さないとね」と言う吉田さん。

─ぽん、と水の中に石の跳ねる音がした。ガラス石は優しくゆっくりと水中に落ちていく。
すると川全体が、キラキラと眩く輝いて生に満ちたように見えた。川は私のガラス石を受け入れてくれたように石と混じる。水晶のように太陽の光が美しく反射していた。あの時のように懐かしく暖かくて眩しい光景だった─

「へぇ、そんな事があったの」
とあにちゃんがお酒に酔った赤ら顔して言う。「明日帰っちゃうなんて、もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」とヒカルちゃん。
「もうすぐ新学期が始まるから色々と準備で忙しいんだ」
私は明日都会へ戻る。沢の谷の学校での任期を満了した後、私は河内先生の縁で都会の学校で再び子どもたちを教えている。
沢の谷での思い出は今でも鮮明に思い出せるし、皆大きくなったというのに未だに年に一度暑中見舞いなどのポストカードを貰う。
私の子どもの頃の思い出と「龍の目」。
伝承の真意の程はわからないけれど、私の持っていたガラスでできたようなあの透明で不思議な石も「龍の目」でその二つの目を持った龍が私を沢の谷へと導き繋げた出逢い、だと私は勝手に思っている。

 

坊ちゃん賞に一応送ってたけど特に何もなかったのでここに置いとく・・・。