ぬかるみ小路に逸れる

文章の溜まり場所として使っていこうと思います(超不定期)

超断片③

そうか、これが今の日本のスタンダードか。と久紀は感心した。
人々はみな前を向いて歩く、後ろから照らされた光が人間の前に影を作るので、人は影を追っかけながら歩いていくのだった。絶対に後ろを振り返ってはいけないと子どもの頃から口を酸っぱくして言われていた。

だがそうは言っても必ず何人かは振り返ってしまう人がいる。久紀もその一人で、久紀が振り返った先には真っ白な光が差していた、それだけでも目がつぶれそうだったのに光の下の方から影がせり上がってくるのが見えた。久紀の身体は凍りついたように強張って動けない。
見回すと同じように振り返った人たちは皆そういう風に硬直している。背を向けて歩き続ける大勢の雑踏の隙間の間で久紀たちは後ろの光を見て震えすくみあがっていた。

光の中から表れた影は大きな大仏の頭だった、大仏は頭の後ろに光を浴びながらこちらを見下している。大仏は頭と右手が出たところでせり出したのが止まったようだった。大きな右手は親指で円を作って、歩く人間一人一人を捉えているように見えた。

大仏と真っ向から対峙してしまった久紀は大仏と目を合わせてはいけない気がした。目を合わせた途端大仏に消されてしまうのでないかという畏怖まで思いつくくらい大仏の姿は久紀たちのような後ろを振り返ってしまった人間には恐ろしいもののように思えた。

大仏は後ろから見守っているのは標準、スタンダードな人間という人たちの歩く後ろ姿だ、誰に見られているのかも知りようのない彼らは救いの対象である。ただ目の前を困難が訪れてもくじけずに信じて歩き続けて幸せも苦難もともに歩き続ける懸命で直向きな彼らこそ大仏からすれば救済に相応しい我が子なのである。

「ワタシの姿を見たな」大仏の大きく低く響く声が轟く。身体に直接響いてくるような威厳がある声だった、久紀の身体は緊張で汗ばみ握ったこぶしには手汗が滲む。この声が聞こえているのは久紀たちのような後ろを振り返った人たちで、前を歩き続ける人たちには聞こえていないようだった。